【仕事をするよりも慣れろ】と教えてくれた人達を忘れることなく、もの造りに精を出しております。 お世話になった人達にいつまでも元気でいて欲しいという想いで今日まで頑張ってきました。 |
若武者
昭和31年5月3生まれの、現在51歳に、なったある若武者の、つらい、つらい、苦しい、苦しい、出来ごとと、罪な出来事、また年月のたった時、苦しい、苦しい、病と出会い、強い、強い、親の愛で、立ち直れ、そして、誰も真似の出来ない、宮大工と、言う職業選び、現在、母と二人で、小さなお社を、造りながら前向きに、頑張っております。
3歳の僕は、母に連れられ、母の実家へ、泊まりにいった時の、出来事と、又近所の、年上の人達と、遊んでいた時の、出来事でした。まず、母の実家へ、泊まりに行っていた時の出来事は朝のことでした。おじいさん、おばあさんの、お部屋へ行った時の事でした。僕はおしっこが出たくて、奥の間の部屋からあだの間へ、行った時見てはいけない、事を見てしまい、その事が、小さな心に、なんて、言ったらいいのか。
口に、出すことのできない、心の病とでも、言いましょうか、そのことで、幼稚園に、入っても、口に出すことの、出来ない思いも、誰もわからず、わんぱく小僧と、しか、見て、もらえづ、周りに僕は、当り散らしておりました。
二階の窓から、砂場をめがけて、沢山の、ねんどを、投げて、僕は、いよいよ、嫌われ者になりました。そのまま、小学生に進みましたが、嫌われて、先生にも勉強は教えてもらえず、腹を立てた僕は、女の先生のスカートの中に手を入れて、先生に思いっきり、たたかれ、僕は泣きました。その事があってから、どの先生からも嫌われ、勉強を、教わる事が出来ず、僕は、もう学校は、行かないと言うと、家では、叱られ、そんな、複雑な、思いで、学年はどんどん進み、掛け算も、割り算も、漢字も、学ぶ事無く、どんどん学年は進みました。
ある日、子供たちの遊び場になっていた、ご近所の出来事でした、女子は、縄跳びで楽しく、遊んでおり、僕らは、ボールけりをして遊んでおりました、その時です、僕が、力強くボールをけったら、そのボールは、女子の縄跳びをしている方へ、転がって行き、一人の、女の子に、転がって行き、女の子にあたり、足が、おかしくなり、その事が、学校にわかり、僕は嫌われ者になりました。
勉強は出来ず、色々複雑な思いを、誰にも言えず、むしゃ、むしゃ、していた頃、川原の子猫が泣いていた、声を聞き沢山の子猫でした。その子猫に、僕は石を沢山投げました。僕は罪なことばかりしていたため、大きくなるにつれて、周りからも嫌われ、色々問題を起こす悪と言う、問題児でした。初めて人を殴り、その事で、父はじっと、耐えて、色々な事を、教えてくれました。
また、社会に、出てからも、親切にものを、教える事の大切さ、また、一生懸命に、習おうと、相手を信じることの大切さを、体で学びました。現在の、この仕事につけた事を、とっても良かったと思っています。勉強が出来ず、そのまま中学校へ進んだ僕は、毎日の様に、屋上へ上がり、そこから、真下を見ては、もう、死んでやる、などと、考える様になり、屋上へあがっては、授業をさぼる毎日でした。大事なことは1年生の一ページが大事です、何もわかっていない僕は、この学校でも、嫌われ者でした。
そんな中で、一人の女の子に引かれる、様になり、サボっていた授業に出ては見たものの、まったく、勉強はわからず、恋と、何もわからぬ、自分の辛さに耐えるのが。そんな時いつも、屋上に上がっていました。
2、3歳のころ、ご近所のお兄さん達と、良く遊んでいた時のことでした。騎馬戦をして遊んでいた時のことでした。僕はあるお兄さんに、おんぶしてもらい、そして、騎馬と、ぶつかったその時でした。僕は、後ろに反り返る様に、頭が石の上に当たり、そのまま寝込んだ日が続きました。それからと言うもの、頭はがんがん鳴り響き耳鳴りはするし、それに、おしっこと、うんこが、出たのも、わからなくなるほど、ひどかった事もありました。こんな状態なので、勉強はなおさらのこと、出来ぬ、この思いをわかってくれる友もなし。
いい人との、出会いがあったため、正しい道を歩けたことに、感謝して、自分に色々な技を身に着けている事で、正しく正義感の強い自分を誇りに思えるようになりました。15、16、競馬場へ行くのですから。
勉強は、駄目でしたが、色々な社会勉強が出来て良かったと思っています。若い時は色々な、悩みも多いいのではないでしょうか、大事なことは、目先のことで決め付けず、長い目で見て上げられるくらい、心の、修行も大事ですよ。教える側も、ものを習う側も、お互いに信じ合わなければ、まず、習うことも出来ないと思います。そのことは、社会に出て初めてわかりました。僕が計算で、悩んでいた、ことを諭してくれた人達は、優しく、僕に難しい溶接を一生懸命に教えてくださいました。自分もまた、頑張って学びました。
やはり、正直な気持ちを忘れず正しく進む事が、良かったのではないかと、思っております。田舎に帰って、も一度大工をやると、帰った僕を家族は、暖かく迎えてくれました。また、兄も必要な大工道具をそろえてくれ、やる気満々の僕に、やはり、世間の風とでも言いましょうか、悪い噂が流れ、苦しむことからは、逃れることの出来ない、辛さの中で、どんどん成長していきました。20歳になった僕は、やってはいけない、恋の苦しみと、また、逢わなくてもいい、病と、言う辛く悲しい、日々が続く中、母は長年かけて、僕を、巡礼の長い道のりを、共に歩いてくれました。直るかどうかわからぬ僕を、連れて、一心に手を合わせておすがりしました。長年巡礼で足を、運んでいますと、とっても、素敵な、ありがたいお話しも聞かせてもらいました。
名古屋の方で、印鑑を作られていた方が、突然にして、まったく目が見えなくなり、医者からも、直る見込みなしとの事で、家族の方が、その人の手を引いて、長い、長い、巡礼の道を歩き、長年かかってか、突然目が見える様になり、ありがたい、お蔭を受けられ、とても、喜ばれて、すてきな、お話しをされていました。母も、僕も、家族もあきらめずに、お参りして、お蔭を受けられる様に、心の底から、おすがりして、今日に、元気な姿で頑張っています。
技術もまた、多くの人から、学び身に着けた技です。自分の辛さより、相手の痛みがわかってあげられる、心になれた事が、とっても良い修行が出来て、良かったと思います。まず、技術も会得するまでは、色々な人に使われて、そして、相手の心が、わかる様になるまでは、もっと、もっと、耐えるべきだと思います。技術は人を傷つけるものでは有りません。技術は人を、救うものです。人は、やはり、学と、日々の出来事を、いつも思っているから、自分は辛くなる事が多いい日々と、年をとったことに後悔し、又、悲しくもあり、それでも前に進まなければ、ならない自分に、何と言い聞かせれば良いのかわからない事もある、が、そんな時はいつも手を合わせて気持ちを、やわらかくしては仕事に向かっております。こんな時に、多くの人からの教えが、自分を正しく導いてくれる仕事に感謝しております。
だから、こんな風に教えられるようになれば、人間として間違った方には行かないと思います。仕事も自分で考えられる様になった時が、1人前だと思う、だから前に進みます。
これが、今の、社寺建築の私です。
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